小説「光が通る街」2
小説
『光が通る街』
町は、海と風に囲まれていた。
潮の匂いが朝の空気に混じり、遠くで風車が低く唸る。
この町では、何かが大きく変わるときも、たいてい静かに始まる。
1
「光回線になります」
そう言った職員の声は、会議室の空気に吸い込まれて消えた。
壁には、古びた町の地図。
赤い線で引かれた伝送路が、血管のように町を走っている。
「これで、町は一気に便利になります」
誰も反論しなかった。
反論する理由も、時間もなかった。
説明は流れるように進み、
最後に一枚の紙が配られた。
――負担金。
総額、十四億円余。
「市が工事を直接やるより、ずっと安いんです」
そう言われると、人は安心する。
“安い”という言葉は、考える手間を省いてくれる。
議会は静かにうなずき、
契約は、いつの間にか結ばれていた。
2
工事は早かった。
電力会社の電柱にワイヤーを通して、
光ケーブルは通され始めた。
町の夜は、少しだけ明るくなった気がした。
だが、佐伯は違和感を覚えていた。
彼は元会計職員だった。
数字の癖を見るのが仕事だった。
「……増えていない」
決算書をめくりながら、彼は呟いた。
十四億円規模の工事。
それだけの設備ができたのなら、
固定資産の数字は、もっと大きくなるはずだった。
だが、そこにあったのは、
思ったよりも小さな数字と、
見慣れない項目――特別損失。
「おかしいな……」
3
彼は資料を請求した。
古い決算書、契約書、説明資料。
返ってきた答えは、短かった。
「その文書は、存在しません」
佐伯は首をかしげた。
だが数か月後、
同じような資料が、議会の委員会には提出されていた。
「あるところには、あるんだな」
町は、平等ではなかった。
4
ケーブルテレビ会社の部長は、委員会でこう言った。
「設備は、すでに借入で完成しています。
市からの負担金は、その返済に充てています」
一瞬、沈黙が流れた。
「……工事費、じゃないんですか?」
誰かが小さく呟いたが、
その声は議事録の行間に消えた。
佐伯は確信した。
これは、単なる会計の問題ではない。
町とお金と責任の問題だ。
5
住民監査請求という制度を、
彼は久しぶりに思い出した。
派手な行動ではない。
怒鳴る必要も、敵を作る必要もない。
ただ、
「確認してください」
と求めるだけの制度だ。
彼は書いた。
・契約は適切だったのか
・お金の使い道は契約どおりか
・税金は正しく扱われているか
紙の上で、言葉は静かに並んだ。
6
町は今日も穏やかだ。
子どもたちは動画を見て笑い、
観光客は海を撮る。
電柱と電柱の間を、光が走っている。
その光が、
真実を照らす光になるのか
ただの通信回線で終わるのか
それは、まだ分からない。
だが佐伯は知っている。
町は、
声を上げた瞬間に変わるのではない。
問いを残されたときに、少しずつ変わるのだ。
彼は今日も、
決算書を静かに閉じた。
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